延命治療 life-sustaining treatment 2003 5 20

 今、日本では、「生命保険の予定利率の引き下げ」という問題に関連して、
生命保険会社をどうするかという問題が議論されている。
これは、「健全な生命保険会社」と「不健全な生命保険会社」と分けて議論する必要がある。
生命保険会社が全部悪いわけではない、健全な生命保険会社だって多数ある。
要するに、「不健全な生命保険会社」をいつまで延命治療をするかという問題に尽きる。
 投資家から見れば、生命保険会社の経営状態は、まるでブラックボックスに見え、
医者である政府は、そのブラックボックスの中味である病気の詳細をよくわかっているが、
あんまり病気の詳細な内容を、家族である投資家に話すのは、どうしたものかと考えている。
 これは、患者本人は、自分の病気について、よくわかっていて、
当然、主治医はその病気には詳しいが、主治医以外の医者には、
よく知らされていない状況にも似ている。
 今回の場合、主治医、患者本人は、病気について、よくわかっているが、
家族である投資家には、もちろん投資家も、うすうす気がついているが、
詳しい情報が知らされていない状況にある。しかし、主治医からは、医者である以上、
当然の帰結である延命治療をしたいと言われている。
 問題は、この延命治療をいつまでするかが問題となる。

 別の問題もある。
これは要するに、国民の利益を守るか、業界の利益を守るかの二者択一となっている。
いくら厚化粧しても、結局は業界の利益を守ることは明白である。
しかし、時には、国民の利益を犠牲にして、業界の利益を守る選択もあり得る。
どちらが正しいかは、歴史が証明することになる。
この選択の結果で実る果実が、どんな果実になるか。それによる。
 しかし、欧米諸国から見ると、この状況はどう見えるか。
これは、異常に見える。やはり日本は異質な国に見える。
欧米諸国は、契約社会であるので、何事も契約というものを重視するのが、
社会の基本であるので、このように契約を軽視するようなことはあり得ない。
 こういう場合、どうするか。
これは、破綻処理をして、精算して、経営責任を問うのが、国際社会の標準である。
場合によっては、精算した方が取り分が多くなることも可能性として、あるかもしれない。
これは、日本村での、日本でしか通用しない日本独自の慣習で処理しているように見える。
つまり、契約というものを、日本人はよく理解できないと見える。
やはり、日本も中国と同じ「人治国家」であったと見える。
 
 昔の問題もある。
今は昔、大蔵省と銀行の「もたれ合い」ということが問題になった。
大きな社会的事件となった。
その当時、MOF担が銀行と大蔵省との接着剤だった。
しかし、MOF担は、生命保険会社にもあった。
大蔵省と生命保険会社の「もたれ合い」という問題もあったが、なぜか不問にされた。
なぜ、銀行だけ問題にされ、生命保険会社は不問とされたのか。
これは不公平であった。あまりに銀行叩きをやりすぎた。銀行がかわいそうであった。
なぜ、一方だけ叩いて、一方は不問としたか。